よく「本当は進学してもっと勉強しかったけれど、家庭の経済事情のせいで、進学を断念して働き始めた」などと言う人がいる。その事情は理解出来るし、家庭の経済事情を考えて進学を諦めた決心は立派だとは思う。しかし、これは「自分の意に反してそうなってしまった」のではなく、結局のところそういう道を自分で選んだのだ。
家庭の経済事情がどうであれ、何が何でも進学をしようと思えば、借金をしてでも進学出来るわけである。しかし、「借金してまで」「親にこれ以上苦労をかけてまで」進学するよりは、仕事に就こうと、結局は自分が「そうするべきだ」と判断したわけである。
ニートにも同じことが言える。「ニートになりたくてなったわけじゃない」と言うニートも多い。親や周りの友人、または社会のせいでこうなったのだと言いたいわけだ。
しかし、誰もが言うように、「何でもいいからとにかく定職に就こう」と思えば、どんなに就職難の情勢であっても、就ける仕事は幾らでも見つけられる。しかし「この仕事はあまりにも自分に向いていない」「この仕事は自分では決して務まりそうもない」と、結局は自分で仕事を選んでいるのだ。「自分に向いていそうな仕事」や「こんな自分にも務まりそうな仕事」を探しているのなら、仕事が見つからないのも当然である。そんな都合のいい職場などあるわけがない。
ゆとり教育の弊害なのかどうかは分からないが、「どんな仕事でもやってやる」という気概のない人間が「~のせいでニートになってしまった」と言うのは甚だ甘えた物言いである。ニートになったのは、自分で選んだ道に他ならないのだ。